工藤ちか子の blog

看護師として働いた25年の経験を生かして誰もが自分らしく暮らせる社会を目指します。

沖縄平和ツアーその3(反戦平和資料館など)

沖縄平和ツアー2日目のメインは「ヌチドゥタカラの家」反戦平和資料館です。その前に「伊江島ってどの辺にあったっけ?」という方のためにご説明いたします。

伊江島の概要

北緯26度42分〜26度40分 東経127度44分〜127度50分沖縄本島から9kmです。伊江島の広さは周囲22.4km・東西約3.6km・面積23km2

伊江島のハイビスカス・ガジュマル
伊江島港と港から城山を望む

伊江島は川の土砂が海に流れ出ないように堰き止めて海が濁らないように工夫しています。ですから海底まで透き通って見えるくらい綺麗。

ツアー一行は昨夜の酒盛りどんちゃん騒ぎをもろもとせず、向かい酒を楽しんだ後反戦平和資料館に向かいます。

ヌチドゥタカラの家と阿波根昌鴻さん

阿波根昌鴻(あはごんしょうこう1901 .3.3〜2002.3.21)さんを抜きにして伊江島の戦後は語れない、資料館の創設者、生涯を平和運動にささげ「沖縄のガンジー」と呼ばれた方です。

沖縄戦で最愛の息子を失い、生き残った島民とともに米軍によって、慶良間諸島強制移住させられ、2年後島に帰ることを許されますが、破壊された土地を耕し、家を建て生活を立て直していたところ、米軍に土地を奪われます。

土地を奪われた島民は、生きるすべを失い、沖縄本島を「乞食行進」して訴えて回ります。人々の願いも虚しく、島の67%が米軍基地になりました。その後は米軍による事件事故が絶え間なく続きます。1972年沖縄は復帰しましたが、土地が全面返還されることなく、現在も島の35.2%は米軍に奪われたまま戦争の訓練に使用されています。

阿波根さんは島民とともに、非暴力の抵抗運動を続け、運動の記録(当時入手困難だったカメラで)や資料を残す事業を行います。こうした資料を活用して1984年共に働き、学び合う場として「わびあいの里」を開設しました。開設以来、修学旅行生をはじめ多くの人々が資料館を訪れています。

資料館の門前に掲げられている碑
資料館内に展示されている(これらはほんの一部)

村役場に隣接する砲撃を受けた蔵

外壁には銃の弾が何十発も・・戦争の恐ろしさを忘れないために唯一残している住居址です。近くにハイビスカスの花が綺麗に咲いて、心が癒されました。伊江島の平和ツアーは「アニーパイルの碑」「ニャティヤ洞(千人ガマ)」にも足を運びましたが、この辺で続きとさせていただきます。お読みいただきありがとうございました。